1.原則として新たな証拠の提出が困難
上述したとおり、控訴審は、裁判をやり直す手続ではなく、第一審に誤りが含まれているかどうかを審理する手続になります。したがって、新しい証拠を原則として調べないのです。
つまり、控訴審において新しく提出する証拠は、第一審において提出されていない訳ですから、新しい証拠を提出しても、第一審が誤っていたことを示す証拠にはならないのです。あくまでも、第一審において提出されている証拠をもとに、第一審において宣告された判決を導くことができるかどうかが問題となるのです。
控訴審における新しい証拠の提出については、刑事訴訟法も次のような定めを設けております。
刑事訴訟法
第382条
…控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実であって明らかに判決に影響を及ぼすべき誤認があることを信ずるに足りるものを援用しなければならない。
第382条の2
やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった証拠によって証明することのできる事実…は、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実以外の事実であっても、控訴趣意書にこれを援用することができる。
第393条
控訴裁判所は…検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で事実の取調をすることができる。
以上のとおり、控訴審においては、第382条の2にあるように、一審で提出できなかったことについて「やむを得ない事由」が認められなければ、新たな証拠を提出することができないのです。
この点、「やむを得ない事由」がない証拠であっても、第393条が、裁判官の裁量によって取調べることができる旨を定めていますが、「やむを得ない事由」がない証拠を裁判所が取調べてくれることは希です。
2.証拠の提出方法
他方で、新しい証拠の提出が禁止されている訳ではありませんし、決定的な証拠を提出できないまま一審の判決を宣告されてしまった場合、その証拠の提出を簡単に諦めることはできません。
そうすると、控訴審においては、裁判所に如何にして新しい証拠を採用させるかについても、弁護士の能力が必要となってくるのです。
まず、新たな証拠を採用することが難しい場合であっても、第一審と異なり、控訴審においては、証拠調べ決定がなされる前の段階で、その証拠の写しを裁判所の提出することが可能です。したがって、実際に裁判官の目に触れさせた上で、証拠の採否を判断させることができるのです。
裁判官としても、その新しい証拠が決定的なものの場合、「やむを得ない事由」がないことのみを理由に退けることは困難でしょうから、まずは事実取調請求を行うことが肝要です。
裁判所が証拠調べを行うべき範囲については次のとおりです。
刑事訴訟法
第392条1項
控訴裁判所は、控訴趣意書に包含された事項は、これを調査しなければならない。
第392条2項
控訴裁判所は、控訴趣意書に包含されない事項であっても、第377条乃至第382条及び第383条に規定する事由に関しては、職権で調査をすることができる。
第393条1項
控訴裁判所は、前条の調査をするについて必要があるときは、検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で事実の取調をすることができる。但し、第382条の2の疎明があつたものについては、刑の量定の不当又は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認を証明するために欠くことのできない場合に限り、これを取り調べなければならない。
第393条2項
控訴裁判所は、必要があると認めるときは、職権で、第一審判決後の刑の量定に影響を及ぼすべき情状につき取調をすることができる。
第394条
第一審において証拠とすることができた証拠は、控訴審においても、これを証拠とすることができる。
上述したような規定によって、新たな証拠を取り調べてもらえればいいのですが、やはり多くの場合は、「やむを得ない事由」という要件が壁になってしまいます。
しかしながら、判決宣告後に作成された証拠であれば、第一審段階では存在しなかった証拠な訳ですから、「やむを得ない事由」が認められやすくなります。
そこで、事件当時の内容を立証するものであっても、「やむを得ない事由」が認められる形で事実調べ請求を行う等、工夫が必要となるのです。
証人尋問や被告人質問も、証拠調べの一方式ですから、「やむを得ない事由」が認められなければ、控訴審において採用されることはありません。
しかしながら、人証の場合には、供述してもらう事項の範囲を、判決宣告後の事情に絞ることによって、事実調べ請求を認めさせることは容易になります。判決宣告後の事情と絡めて、判決宣告前の事情を話すことも可能な場合がありますが、まずは証人尋問や被告人質問を採用してもらえなければ、そのような機会も得られません。
弁護人には、こういった点についての創意工夫も求められるのです。