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コラム

刑罰を科する目的とは何か。刑事司法に関心が集まっている今、もう一度考え直す。

 刑事事件を中心に弁護活動を行う弁護士として勤務を始めて、10年が経とうとしています。この10年の間に、弁護人としての役割や、犯罪者に対して刑罰を科すことの意味について、高校生に向けて講義させていただく機会もあり、その際に、犯罪者を弁護することの意義等について質問されることもありました。
 私の拙い講義であっても、「刑事事件」の内容や弁護士の役割について、その一部分についてはご理解いただけたのではないかと自負しています。
 しかしながら、社会的な耳目を集める犯罪について報道がなされた際には、この点についての理解が十分にされていないと思われる方々のコメントが並ぶことが多く見られます。

カルロス・ゴーンさんによる保釈中の海外逃亡に関する一連の報道の際に、担当弁護人に対して非難が集中したことについても、刑事事件や弁護士(弁護人)の役割について、多くの方に御理解いただけていないことに起因するものだと考えています。
 機会があれば、弁護人の役割についてもこのコラムで解説させていただこうと思いますが、弁護人の役割について御理解いただくためには、まず、何故犯罪者に対して刑罰を科すのかという点についての理解が不可欠になります。

今回のコラムでは、刑罰の本質がどのような点にあるのかという点について、できる限り抽象的な内容とならないように、解説させていただきます。

1.刑罰の目的

(1)刑法に目的規定は存在しない

 ある人に対して刑罰を科すためには、刑罰を科す対象となる犯罪行為が法律によって定められている必要があります。このことを罪刑法定主義といいます。しかしながら、そもそも犯罪行為に及んだ人に対して刑罰を科す必要があるのでしょうか。

基本的な犯罪行為に対する刑罰規定を列挙している刑法を確認してみても、刑罰を科す目的については条文で定められておりません。

例えば、少年法については次のような目的規定が設けられています。

少年法

第1条  この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

 他の多くの法律との関係でも、目的規定が最初に設けられているものが多いのですが、刑法にそのような規定は設けられていないのです。
 一方で、刑罰として死刑が選択される可能性があり得る事件等においては、刑事裁判の中で、弁護士から刑罰を科す目的や必要性について、裁判員等に対して具体的に説明をしなければならない状況もあり得ます。
 抽象的なテーマではありますが、刑事事件を取り扱う弁護士としては、十分に理解を深めておく必要があるのです。

(2)応報刑と教育刑

 では、刑罰は何故科されることになるのでしょうか。

 日本弁護士連合会は、裁判員裁判が施行される際に、「知ってほしい刑罰のこと」と題するパンフレットを作成しています。

 その中では、「その人が再び罪を犯すことのないように教育する目的(教育刑の考え方)」と「罪に対して報復をする目的(応報刑の考え方)」の2つが紹介されています。

 そして、応報刑の意味について、「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典の言葉を引用して説明し、応報刑だけでは、罪を犯した人の改善・更生を妨げる可能性があり、罪を犯した人の社会復帰を考える時には、教育刑の考え方がより重要になる旨を説明しています。

 刑事事件を取り扱う弁護士として、このパンフレットで説明されている内容に大きな異論はありません。というのも、刑事裁判に普段から接していない裁判員の皆様からすれば、法廷にいる被告人はこれから裁くこととなる対象でしかなく、「被告人」という生の人間を意識することは簡単ではないからです。
 ですから、裁判員裁判の対象となる刑事事件の弁護人は、「被告人」の人となり等についても十分に時間を確保して裁判員に説明していくことが求められますし、その中で被告人の今後の社会生活等についても触れることになります。
 そのことを強調し、裁判員の理解を得られなければ、被告人の改善・更生という観点は、大きく考慮されることなく、刑罰が定められてしまうことになります。

(3)刑事裁判における量刑の定め方

 一方で、応報刑よりも教育刑を重視するという考え方は、通常の刑事事件の裁判においてとられている考え方とは距離があります。

 むしろ、裁判所は、応報刑を中心として捉え、応報刑として妥当だと考えられる刑罰の範囲の中から、教育刑としての必要性を加味して、具体的に宣告する刑罰の内容を判断しているものと考えられています。

2.いずれの刑を中心として考えるべきか

(1)教育刑を中心に据えた場合

 上述したように、刑事事件との関係で、弁護士が教育刑を重視するように求めることは、弁護士として当然の主張だと思いますから、日本弁護士連合会作成のパンフレットの記述に問題があるとは思いません。

 しかしながら、やはり刑罰が科される理由について考えた時には、応報刑を中心に考えるべきだと考えています。

 それは、刑罰を科すということ自体、問題となっている事件の解決方法という意味で考えた場合には、極めて不合理な方法だからです。

 被告人を刑務所に服役させたとしても、その被告人の犯罪行為の被害者が被った被害は何も回復しません。むしろ、被害者の被った損害を賠償させるためには、刑務所に服役させることで賠償金の原資を稼ぐことができなくなりますから、マイナスの効果しかないものと言えます。また、刑務所の運営には税金が用いられることになりますし、被告人の自由も強く制限されることになります。

 教育刑を中心に刑罰を考えると、そのようなマイナスの効果を上回るような教育的効果を得られるような刑罰を科すことになります。

 では、教育的効果を期待できないような場合に、刑罰を一切科さないという結論は妥当でしょうか。

刑事訴訟法

第480条 懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、刑の言渡をした裁判所に対応する検察庁の検察官又は刑の言渡を受けた者の現在地を管轄する地方検察庁の検察官の指揮によって、その状態が回復するまで執行を停止する。

 刑事訴訟法は、このように裁判を受け終えた後、刑罰を執行される段階において心神喪失の状態にある者に対して、刑罰を執行しない旨を定めています。この意味では、教育効果が認められない場合には、刑罰を科さないことになっているものと言えます。
 しかし、机上の空論になってしまうところはありますが、心神喪失とまでは認められない場合はどうでしょうか。哲学的な問題になりますが、犯罪行為後に人格が完全に変わったようなケースではどうでしょうか。既に犯罪を犯してしまった時の人格ではなくなっているようなケースにおいて、教育刑を科す必要がないからといって、刑罰を科す必要がないと言えるでしょうか。
 確かに、そのようなケースが現実的に想定し難いところもありますが、戦時中のナチス犯罪について、高齢となった被告人に対して刑罰を科す必要があるのかという点で、ドイツでは問題となっているようです。
 ナチズムの影響が甚大であった頃とは環境も異なり、人格的な問題は大きく改善されていることに加え、高齢の被告人に高い教育効果も見込めませんから、教育刑を中心とした考えでは、処罰に躊躇する事案になろうかと思います。

(2)応報刑を中心とした場合の刑罰の意味

 では、応報刑を中心に考えることで、上述のような事案に対しても刑罰を科すことになるのでしょうか。

応報刑を中心に考えるといっても、「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典の内容が、現代の日本の刑事裁判でも妥当しているという訳ではありません。窃盗犯に対する手の切断刑や、性犯罪者に対する去勢を内容とする刑罰は、現在の日本においては認められていないのです。

 現在の日本で考えられている「応報刑」とは、違法な行為に対する報いの内容ではなく、その報いとして科される刑罰によって、他の国民が犯罪行為に及ぶことを抑止するための刑として理解されています。

 ですから、犯罪行為後に、教育的効果を期待できないような状況に陥った場合であっても、同様の犯罪行為を抑制するために必要であれば、刑罰を科することができるのです。

(3)いずれを中心に考えるべきか

 では、どちらを中心に考えるべきなのでしょうか。

 私は、刑罰の本質は応報刑にあるものと考えています。教育刑という観点の重要性を否定する訳ではありませんが、教育刑の観点のみでは、刑罰を科す範囲を適切に決めることができないように思います。
 特に、被害者に対する自力救済の禁止は、被害者に代わって国家が適切な制裁を科すこととセットで考えなければ秩序を保つことはできません。教育刑という考え方を中心として、教育効果が認められない場合には制裁を科せないといった場合、自力救済や私的制裁(所謂リンチ)を抑止することができないと考えられるからです。

 そうすると、冒頭で述べた裁判所の考え方が基本的には妥当するものと考えられ、刑事事件における弁護士として、刑事裁判において量刑を争う場合には、このような考え方をもとに、適切な主張を行うことが求められるように思います。

3.適切な刑罰の内容について

 応報刑の内容を、刑罰の抑止力という意味で理解するとしても、犯罪行為を抑止する目的であれば、過度に重い刑罰を科すことも正当化されるという訳ではありません。この点は、児童虐待や酒酔い運転に伴う人身事故等に関する報道がなされた際に、直ちに極刑を望むようなコメントをインターネット上でよく目にするようになりましたので、特に御理解いただきたい点です。

純粋な応報刑として、「目には目を、歯には歯を」という内容の刑罰を科そうとした場合、被害者が亡くなっている事案においては常に死刑が妥当してしまうことにもなりかねません。被害者の心情としては理解できますし、その心情自体は誰も否定するべきではありませんが、あるべき刑罰の内容を考えるにあたっては、その点を過度に重視するべきではありません。

「目には目を、歯には歯を」といった純粋な応報刑が妥当しないのは、被告人の犯罪に至る経緯を一切考慮することなく、最終的に生じた結果しか評価することができていないためです
 現に、過失によって人を殺傷してしまった場合や、意図的に人を殺害してしまった場合であっても、無理心中未遂や介護疲れを原因とするものについては、刑務所に服役すらしないケースも多く散見されます。

上述した抑止力という点に加え、自力救済が禁止されていることに伴う国家による制裁の必要性という観点を考慮した上で、刑罰を科すことそれ自体にはマイナスの効果が大きいことも加味し、抑制的な内容の刑罰を科すことが望ましいのではないかと思います。

この点は、法律を制定する際の立法者にも求められる考え方ですが、日本の法律は法定刑を広く設定しており、具体的な刑罰の内容を定めるにあたって、現場の裁判官に大きな裁量を認めています。
 一方で、裁判官の宣告する判決、原則として刑事裁判の当事者である検察官や弁護士が提出した証拠のみに依拠するものです。裁判官が適切な判断を下すことのできるように、刑事事件に携わる弁護士としては、刑罰の目的に対応する主張を、適切な証拠に基づいて行う必要があるものといえます。

4.弁護人の役割

 刑事事件の弁護士は、何故、悪者の味方をするのかといった質問に晒されることが多いように思います。刑罰というのは解説させていただいたとおり、目には目を歯には歯をといった考えだけで科せるものではないのです。これは、一部の外国で認められているような失明刑等のように、身体を傷つけるような刑罰が我が国で定められていないことからも明らかです。  
 そうすると、何らかの罪を犯してしまった被告人に対して、どのような刑罰を科すのが正しいのかについては、一義的に決まる訳ではありません。裁判官や検察官だけで手続を進めてしまった場合、被告人にとって斟酌すべき事情が、裁判の手続の中に十分に現れないこととなってしまうのです。  
 そこで、弁護人は正しい適切な刑罰を定めるために必要不可欠な存在といえるのです。  
 また、刑罰だけでなく、我が国の刑事司法は、被疑者・被告人に対して、極めて長期の勾留を認める内容となっております。刑罰以外の制裁は、罪を犯した者に対するものとして科すべきではありません。刑罰以外の逮捕や勾留等の手続によって、不必要に被疑者・被告人の権利が制限されることがないように活動することも、刑事事件の弁護士の役割として期待されているのです。

5.まとめ

 今回は、刑事裁判の実務を少し離れて、刑罰の目的という抽象的な内容について解説させていただきました。もとより、このような概念的な問題について、短い記事で全てを解説できている訳ではありませんし、私の考え方が絶対的に正しいという訳ではありません。
 また、このような内容を弁護人として刑事裁判において主張することが求められる事件も多くはありません。

しかしながら、裁判員裁判が施行されて長期間が経過し、刑事事件やその裁判だけでなく、刑事司法の問題について多くの方に興味を持ってもらえるようになりました。検察庁法の改正の問題についても、20年前であればここまで社会的な関心事になっていなかったかもしれません。

刑罰の目的という本質的な問題について、考えを深めていただくきっかけになれば幸いです。

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